7年8カ月の長期政権“ひな壇”は9回 佐藤総理(2021年11月27日)

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1964年11月、佐藤栄作氏は、東京オリンピック閉幕の翌日にがんの治療ため退陣を表明した池田勇人総理の指名で、あとを引き継ぎました。

田中角栄大蔵大臣、オリンピックを担当した河野一郎氏は副総理兼スポーツ担当大臣に、石田博英労働大臣、小山長則建設大臣が総理官邸に入ります。

カメラマンの放列の中、モーニング姿の佐藤総理大臣が、再び官邸に入ります。
佐藤内閣は、官房長官以外の池田内閣の閣僚を全員留任してスタートしました。

初閣議はこのメンバーで開かれましたが、7年8カ月にわたる政権で、この発足時も含めて組閣や内閣改造は合わせて9回と、佐藤総理は閣僚を頻繁に入れ替えました。「人事の佐藤」とも称されました。

お馴染みの“ひな壇”と呼ばれる閣僚の記念撮影です。
総理の向かって右隣には河野大臣、左側は譲り合いつつ赤城宗徳農林大臣が収まりました。
当時の日本の高度経済成長が後押しした、通算2798日に及ぶ長期政権のスタートです。

1965年6月、佐藤総理、最初の内閣改造です。
川島正次郎自民党副総裁から記者が情報を得ようとします。
田中角栄氏は幹事長になりました。
長く幹事長も務めた、前尾繁三郎氏は総務会長。
政調会長は赤城宗徳氏です。

当時は記者と政治家の距離が物理的に近いようです。
囲まれている石井光次郎氏は法務大臣に、椎名悦三郎氏は外務大臣を続投します。
福田赳夫氏は大蔵大臣に、中村梅吉氏は文部大臣です。
鈴木善幸氏は厚生大臣、坂田英一氏は農林大臣に。
三木武夫氏は通産大臣で、党の幹事長からまた閣僚に。
中村寅太氏は運輸大臣、郡祐一氏は郵政大臣に就任。
労働大臣には小平久雄氏。
瀬戸山三男氏は建設大臣。
永山忠則自治大臣に肩を組んで話を聞く記者も。
上原正吉科学技術庁長官、松野頼三氏は防衛庁長官に就任です。
藤山愛一郎氏は今回は経済企画庁長官に。
福田篤泰氏は行政管理庁と北海道開発庁の長官です。
安井謙総理府総務長官は記者に肩をたたかれます。

改造内閣の初閣議です。
画面向かって右の隅で、三木武夫通産大臣と椎名悦三郎外務大臣がずっと熱心に話し続けています。 
佐藤政権で実現した大きな仕事のひとつに、韓国との国交正常化があります。
日韓基本条約が締結されたのは、この19日後の6月22日でした。

カメラマンの壁!ひな壇の撮影です。

何度もこの記念撮影に臨んでいる藤山愛一郎氏は、最前列の左側に映っていることが多いようです。

1966年8月、第1次佐藤内閣の第2次改造内閣が発足した時の映像です。

官邸の外の階段に正装の閣僚が出てきました。記念撮影です。
佐藤総理はモーニングについたホコリが気になるようです。
総理の両隣りには石井法務大臣と三木通産大臣が収まりました。

大臣ポストが書かれたボードに名前が…記者が予想をしているのでしょうか。

1966年12月、自民党総裁選に勝利した佐藤総理が第3次改造を行います。
ボードに名前があった剱木亨弘氏は文部大臣で、二階堂進氏は科学技術庁長官などで初入閣です。

いわゆる“黒い霧解散”後の総選挙で、安定多数を維持した佐藤総理。
1967年2月、第2次佐藤内閣の発足です。
総理の隣、カメラ目線は増田甲子七防衛庁長官です。
前回の改造から2カ月と日が浅く、閣僚は全員再任されました。

1967年11月。アメリカでジョンソン大統領と小笠原返還で合意した佐藤総理は帰国後、内閣を改造します。
園田直氏は厚生大臣で初入閣。
中曽根康弘氏は今回は運輸大臣です。

この翌月、佐藤総理は衆議院予算委員会で非核三原則を表明します。
1974年のノーベル平和賞の授賞理由になりました。
総理の両隣は、前回の第2次佐藤内閣 発足時と同じ、三木外務大臣と増田防衛庁長官です。

前の改造から1年後、1968年11月の第2次改造です。
この記念撮影で総理の隣は長谷川四郎農林大臣と野田武夫自治大臣でした。

1970年1月の第3次佐藤内閣の組閣からは、映像がカラーになりました。
記念撮影で総理の向かって右にいるは保利茂官房長官です。
一度落選の憂き目を見ましたが、吉田茂元総理の時代にも閣僚を務めています。

公害が社会問題となり、佐藤総理は1971年7月1日、環境庁を設置しました。
その4日後が、最後の内閣改造でした。

後ろから階段を降りてくる竹下登官房長官は初入閣です。
できたばかりの環境庁長官は大石武一氏。

“角福戦争”を繰り広げる、田中通産大臣と、福田外務大臣が並んでいます。
佐藤総理はこの翌年、沖縄返還を実現後に退陣しました。
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Posted by chobi